百獣の王の檻を壊した

守りたくて、救われたい

湾岸のShelterの話

 


「Shelter」という曲、9人のトラジャとトラジャ担にとって、とても大切な曲。

 


9人の代表曲のひとつで、説明が難しいけれど、単独の1曲目やWアンコで選ばれるような曲。ずっと全員揃わなかったんだけど、2016年のクリエで9人でやってくれた時は大歓声だった。

 


それから少クラに出始めた頃はオリ曲がなかったから、もうええねんってくらいこの曲ばかりやってた。正直飽きてた。

 


で、2人減った7人の期間。

 


多分だけど、一度もやらなかった。少クラでも単独でも。もしかしたら偶然かもしれないけど。

 


7人になってすぐのクリエで、意図的にいつばをセトリから外そうとした人達。

(うみが絶対に外すべきじゃないと駄々をこねて結局入れた)

 


7人の最後、最後の最後に「あれしかないだろ」って言いながら誰もがShelterだと思ったタイミングでスパノバをやった人達。

 


そういう7人が、Shelterを一度もやらなかった。そういう曲だったし、そういう人達だった。

 


で、湾岸。

7人で、Shelterを、やったんだよね。

 


本人達の言う通り公開オーディションのような状況なら、忙しくて7人で集まる時間が少ない中そんな大事な曲をわざわざ入れる必要はなかったかもしれない。

その後正式加入してから横アリ単独で満を持して披露、の方がもっと時間をかけて固められただろうし、ストーリーとしても感動的だったかもしれない。

 


でも、わざわざ、やったんだよね。

 


あのShelterにどれだけの思いが込められていたのかなと思うと、私はもう、何も言えなかった。

ゲスト、なんて言うけどさ、もう分かったよ本気なのは、もう分かったから、って。

 


今まで見た沢山のShelter、Shelterを踊る皆んなの顔、色んなものが走馬灯のように蘇った。いやなに死んでんねん。

 


その時は泣かなかったけど、もう見てしまったからには、7人の気持ちを全身で受けてしまったからには、無視できなかった。

 


7人を受け止めてしまった今が、7人とお別れするタイミングだと、気付いてから家で1人で泣いた。夏は正直実感がなさすぎて泣けなかったんだよな。

楽しかった、新曲すごく良かった、夢ハリも7人の方が良かったと、認めてしまった自分に泣いた。

 


まぁ、皆んなそれぞれ色々あるよね。

心底ではモヤモヤを抱えながらも自担のいる場所を見つめることしかできないから。

 


でも本人達の決めたことだから。少しずつ、今が好きな人達だけでも、歩み寄っていけたらいいよね。

 


私はどっちも見てるから、そう思います。

 


なんか話変わったね。おわり。

 

死に損ないのトラジャ担が松倉海斗くんに堕ちるまで

 

どうも。松松の血を吸ってどうにか生き延びている死に損ないのトラジャ担こと私です。
松倉くんお誕生日おめでとうございます。

去年自担がトラジャを辞めて俳優になり、そして自担がトラジャを辞めて表舞台から去ってもなおトラジャ担でいようとする私のことは落ち武者と呼んでいただいて結構なのですが、お察しの通り、従来大人っぽい顔立ちが好みの私が何故「先日産まれました^ ^」みたいな顔の松倉くんに堕ちたのか。その経緯を振り返りました。

 

第1章 〜松松トラジャ加入〜

2017年11月18日湾岸初日。噂通りゲストとして松松登場。

ニコとネガ。よくトラジャの見学に来てくれる。最近はSHOCKとか出てて凄いらしい。そんな情報量でしかなかった2人が目の前でイツバを踊っている。冷静に考えて理解し難い状況の中、そんな気持ちを吹き飛ばす魔法の曲が現れる。

Dance With Me 〜 Lesson 1 〜
https://youtu.be/UDB-_H_NIaI

これはまじで魔法の曲だと今でも思っている。

というのも、初回公演で「Aメロでトラジャ!って言うところがあるよ。サビの振りはこうだよ。曲に合わせてやってみよう。」と丁寧に教えてくれたのに、1人1人名前を言うところがあるのは教えてくれなかった。

最初は複雑すぎて声も出せなかったのに、何だかんだ気付いたら楽しく手拍子をしていた。気付いたら7人の名前を呼んでいた。気付いたら7人を応援していた。あれ???と思った時にはもう夢ハリのイントロが流れていて、7本のステッキが宙を舞っていた。

誰もが、というか誰よりも自分が戸惑いを隠せなかった初日、この曲から一気に追い風が吹いた感覚があった。※個人の感想です。

 

 

 

 

第2章 〜松倉くんが気になるかもしれない〜


松松のお勉強のためにお邪魔したEndless SHOCK。とんでもない子達が入ってきてしまったと思った。

 

 

(さっきから語彙力のないツイートしか出てこなくて泣いてる)

湾岸の時、「2人とも頑張ってて全然見劣りしてなかったよ〜」なんて軽々しく褒めたことを反省した。こんなの2ヶ月もやってりゃイツバくらい踊れますわ。

 

前述の通り大人っぽい顔立ちがタイプなため、顔とダンスが好みの松田元太さんを中心に見ようと思っていたのに、何故か防振を持つ手が言うことを聞かず、「先日産まれました^ ^」みたいな顔の方を見てしまう。見てしまう。見てしまう。


そこから友人の影響もあって松倉くんに注目するようになり、YouTubeという最強コンテンツのお陰であっという間に「雪見ちゃんたべたいbot」が誕生。おめでとうございます。

 


第3章 〜夏の始まり〜

 

そんなこんなで迎えたYummyツアー西武ドーム
それまでの公演では角度的に見られなかった、I Scream Nightの松倉くんが正面から見られる席だった。

西陽が差し込むステージの上、気を抜いたら倒れてしまいそうな熱気の中、夏の清々しさを全身で表現する松倉くんを眺めていた。

曲の終わり、遠くの誰かに笑いかけて、汗を拭うよりも先にその人に向かって嬉しそうに走り出す。

その先には、去年の夏まで元同級生でただの友達だったうみちゃんが、同じグループのメンバーとして両手を広げて待っていた。

平成最後にこんな夏が来ることを、誰が想像できただろう。

松倉くんが今までどんな夏を過ごしてきたのか私には一生分かり得ないけれど、そうやってなりふり構わず走って行った先に、6人のメンバーが待っている夏は間違いなく今ここにある。

松倉くんの人生の中に、「Travis Japanとして過ごした夏」が刻まれていく瞬間を見てしまった。
きっと今までならそれが悔しかったはず。でもあの時は何故か、清々しい夏の風が吹いたような、ふわっと心が浮き立つ感覚があった。

 

理由をつけるとしたら多分きっと夏だから。
Travis Japanと過ごす夏の、尊さも儚さも切なさも、沢山見てきたつもり。
心が熱くなって自然と強くなる手拍子も、震えるような高揚感も、訳もなく涙が溢れる胸の高鳴りも、いつだってTravis Japanと過ごす夏に捧げてきたつもり。


だったらここでもう一度、永遠なんて探せなくていいから信じてみたい。

 

 

松倉海斗くん。
改めて、Travis Japanに来てくれてありがとう。この1年、どうだったかな。楽しかったかな。お節介おばさんは心配です。

私は松倉くんがいてくれるお陰で今日もTravis Japanを好きでいられているから。大好きなTravis Japanに、大好きな松倉くんがいる時間が、これからもずっと続いたらいいなぁなんて、松倉くんの居場所がここにあってくれたらいいなぁなんて、おたくのエゴを押し付けてしまいそうになるけれど。

 

一番に願うことは、いつだって真面目に真っ直ぐにひたむきに自分の体ひとつでステージに立つことを選び続けてきた松倉くんの頑張りが、実を結ぶ世界でありますように。

 

長くなりましたが最後にもう一度、21歳のお誕生日おめでとうございます。
改めて、これからもよろしくね松倉くん。

 

 

 

 

唐突にしずんちゅの話

 

いよいよ熟年カップルをテーマにしてきた2人。一緒にいる時間が長いって、自覚あったんだ。


本当に、ずっと一緒だったんだよね。3人で。呼ばれる時も呼ばれない時も。ズッコケ3人組とか言って。
いつもあらちかに埋もれて、ちょっぴり頼りなくて情けなくて。くだらない喧嘩ばかりして、プライベートまで仲良しな訳じゃないし、むかつくことも沢山あるけど、でも結局、一番長い時間一緒にいるから、合うことも合わないことも、一番分かってるんだよね。


しずんちゅが過ごしてきた時間の長さは、同じだけ。でもこれからは、2人だけ。


2人のこれからはきっと、本当は3人で見てみたかった未来そのものなんだと思う。


One Chanceの「Let' go」、うみがやってくれたらいいなと思ってたんだけど、閑也だった。
なんで?って思ったけど、あぁそうかって。


うみが代わりに入るのではなく、うみのシンメになる人を代わりに入れる。
その相手が他の誰でもなく閑也だったこと。


大半の人からしたら、歌割りなんてどうでもいいことかもしれないけれど、たったそれだけのささやかな優しさに、死ぬ程救われた人も少しはいるんだよ。


最近なんだか仲良しな2人。


本当はこうなってたのかなぁとか勝手に思ったりして。

 

コレオグラファーと、アイディアマンと、MC担当。頼りなかった3人が大人になって頭角を現し始めた時の感じ、良かったよね。とか。

 

うみの選曲×閑也の振付

今じゃトラジャには無くてはならない武器だもんなぁ。

 

特別需要が高いコンビではないと思うけど、私にとっては救いだよ。本当は守りたくて救われたかった。

これからもそれなりに仲良く、グループを支える存在になってね。

 

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何故それでも百名ヒロキを追いかけるのか

 

 

自担の現場に入るたび、この世の全ての幸福を掻き集めて全身で浴びたかのような多幸感に見舞われるのがおたくである。ステージ上で輝く自担を見つめている時、今この瞬間が全てだと思えるのがおたくである。半券の数だけ幸せになれるのがおたくである。

 

「ボクが死んだ日はハレ」「マクベス」「終わらない世界」「GANTZ:L」「マタ・ハリ

 

彼の出演作を観劇するたびに、なんとも言えない虚無感に襲われる。満足感のない物足りなさというのか何というのか。

 

百名ヒロキという俳優について、演劇について、色々考えたので書き残しておく。何故それでも百名ヒロキを追いかけるのか。

 

 

 

ある時からコンサートより舞台の方が好きになった。華やかなショービジネスの世界に憧れた。数ある娯楽の中で演劇は興味のある分野だと思っていた。

 

この一年、百名ヒロキを追いかけて大小様々な劇場に足を運び、ミュージカルからストレートプレイ、悲劇から喜劇、時代劇から2.5次元まで、知らなかった世界を沢山見せてもらった。そして知った。どうやら私は然程演劇が好きではない。

 

誰かがつくった感動的なフィクションストーリーを軸に、情景を表すセット、壮大な音楽、心に響く台詞。そこまで丁寧に演出されるのだから、言ってしまえば感動を呼ぶのは当然のことだ。ましてや人が死ぬ描写があって悲しい気持ちにならない人間なんているだろうか。

 

これは意地ではなく、私が私の世界で何よりも心揺さぶられるものは、今でもPLAYZONEだと思っている。あの劇場で見た光景だけはどんな語彙力を以ってしても説明できない。自分の価値観の中だけの話になるが、ダンスの表現だけで観ている人の心を熱くすることができるものがあると身をもって実感しているのだから、つくられた台詞で紡いだ物語で得た感動では物足りなく感じて当然である。

 

劇場の固い椅子に座り、なぜ私はここにいるのかと疑問を感じながらステージの上の空間を眺めてもう5作目だ。瞬きを忘れたり手拍子に力がこもるようなことはない。感想なんて聞かれても「顔がかっこよかった」しか出てこない。

 

帝国劇場や日生劇場から外の世界に戻る時に感じるあの清々しい高揚感を味わうことができず、余韻に浸ることもなく劇場を後にする。確実にチケット代分楽しんでいない。

 

にも関わらず、結局毎回観劇してしまう。次はもういいや、と思いながらチケットを用意してしまう。何故それでも百名ヒロキを追いかけるのか。理由は「見失うのが怖いから」。名前が消える恐怖と絶望に二度目はいらない。お願いだから私の人生から勝手にいなくならないでほしい。

 

現状、俳優としての彼の魅力をプレゼンしろと言われたら私にはできない。何にも染まっていない荒削りな姿が似合う役にキャスティングされるのもいつまで続くか分からない。それは誰よりも本人が自覚しているはずなのでこちらは彼の成長を願うことしかできない。言うのは簡単なので偉そうに敢えて言うが、一刻も早くどこに放り込まれても見劣りしない存在になってほしい。君がこの世界で生き残ってくれないと、私が生きられない。

 

もう手離してもいいかもしれない、見失いはしないだろうと、勝手に思った夏は確かにあった。私の世界でたったひとつだけ、彼がどんなに努力しても絶対に勝てない夏があった。それが幻になって消えたことについて、彼にも1%くらいの責任はあると思っている。

 

黙って去られた側としては、百名ヒロキという自由の名を手に入れた彼が次々と未来を掴み取っていく姿を悔しく思う気持ちも全くない訳ではないが、随分とすっきりした顔で楽しそうに夢を語る彼を見ていると何も言えなくなる。というか何も言う権利はない。私の人生において彼の存在が絶対的に揺るぎないものであることに変わりはない。俳優の彼を好きでなくとも、俳優という道を選んだ彼の存在が好きなのだ。百名ヒロキとして生きる道を選んだ仲田拡輝が好きなのだ。

 

彼はきっとこの世界で、これからたくさんの役を生き、たくさんの人と出会い、舞台の上で歳を重ねていくのだろう。

 

そして私はきっと、俳優として生きる彼を、客席から見つめ続けるのだろう。ひとたび劇場の椅子に座れば、永遠に交わることのない人間の人生を目の当たりにすることができる。

 

「一番大きな出会いは、今この瞬間。君に出会うために、僕らは歴史を重ねてきました。」

 

新春の帝国劇場で聞いた台詞だが、きっとその通りなのだと思う。舞台と客席、本来なら交わるはずのない沢山の人生が交差して重なり合ってひとつの歴史が生まれる。それが劇場という場所なのだと思う。

 

役に自らの人生を乗せて板の上から誰かの人生に影響を与えるということは、どんな気持ちなのだろう。私には一生分かり得ないから、分かろうとするのはやめる。私は、表現者として舞台に立つ彼を、1人の人間として見続ける。演劇は夢物語ではなく、現実だ。君がそこで生きているという現実。

 

どれだけ夜明けの空が見たいと願っても永遠に日は昇らないのなら、ひろい夜空に輝く月の光があればいい。

 

何故それでも百名ヒロキを追いかけるのか。

 

私が私の人生を強く生きるために、百名ヒロキの存在が必要だからである。