百獣の王の檻を壊した

守りたくて、救われたい

何故それでも百名ヒロキを追いかけるのか

 

 

自担の現場に入るたび、この世の全ての幸福を掻き集めて全身で浴びたかのような多幸感に見舞われるのがおたくである。ステージ上で輝く自担を見つめている時、今この瞬間が全てだと思えるのがおたくである。半券の数だけ幸せになれるのがおたくである。

 

「ボクが死んだ日はハレ」「マクベス」「終わらない世界」「GANTZ:L」「マタ・ハリ

 

彼の出演作を観劇するたびに、なんとも言えない虚無感に襲われる。満足感のない物足りなさというのか何というのか。

 

百名ヒロキという俳優について、演劇について、色々考えたので書き残しておく。何故それでも百名ヒロキを追いかけるのか。

 

 

 

ある時からコンサートより舞台の方が好きになった。華やかなショービジネスの世界に憧れた。数ある娯楽の中で演劇は興味のある分野だと思っていた。

 

この一年、百名ヒロキを追いかけて大小様々な劇場に足を運び、ミュージカルからストレートプレイ、悲劇から喜劇、時代劇から2.5次元まで、知らなかった世界を沢山見せてもらった。そして知った。どうやら私は然程演劇が好きではない。

 

誰かがつくった感動的なフィクションストーリーを軸に、情景を表すセット、壮大な音楽、心に響く台詞。そこまで丁寧に演出されるのだから、言ってしまえば感動を呼ぶのは当然のことだ。ましてや人が死ぬ描写があって悲しい気持ちにならない人間なんているだろうか。

 

これは意地ではなく、私が私の世界で何よりも心揺さぶられるものは、今でもPLAYZONEだと思っている。あの劇場で見た光景だけはどんな語彙力を以ってしても説明できない。自分の価値観の中だけの話になるが、ダンスの表現だけで観ている人の心を熱くすることができるものがあると身をもって実感しているのだから、つくられた台詞で紡いだ物語で得た感動では物足りなく感じて当然である。

 

劇場の固い椅子に座り、なぜ私はここにいるのかと疑問を感じながらステージの上の空間を眺めてもう5作目だ。瞬きを忘れたり手拍子に力がこもるようなことはない。感想なんて聞かれても「顔がかっこよかった」しか出てこない。

 

帝国劇場や日生劇場から外の世界に戻る時に感じるあの清々しい高揚感を味わうことができず、余韻に浸ることもなく劇場を後にする。確実にチケット代分楽しんでいない。

 

にも関わらず、結局毎回観劇してしまう。次はもういいや、と思いながらチケットを用意してしまう。何故それでも百名ヒロキを追いかけるのか。理由は「見失うのが怖いから」。名前が消える恐怖と絶望に二度目はいらない。お願いだから私の人生から勝手にいなくならないでほしい。

 

現状、俳優としての彼の魅力をプレゼンしろと言われたら私にはできない。何にも染まっていない荒削りな姿が似合う役にキャスティングされるのもいつまで続くか分からない。それは誰よりも本人が自覚しているはずなのでこちらは彼の成長を願うことしかできない。言うのは簡単なので偉そうに敢えて言うが、一刻も早くどこに放り込まれても見劣りしない存在になってほしい。君がこの世界で生き残ってくれないと、私が生きられない。

 

もう手離してもいいかもしれない、見失いはしないだろうと、勝手に思った夏は確かにあった。私の世界でたったひとつだけ、彼がどんなに努力しても絶対に勝てない夏があった。それが幻になって消えたことについて、彼にも1%くらいの責任はあると思っている。

 

黙って去られた側としては、百名ヒロキという自由の名を手に入れた彼が次々と未来を掴み取っていく姿を悔しく思う気持ちも全くない訳ではないが、随分とすっきりした顔で楽しそうに夢を語る彼を見ていると何も言えなくなる。というか何も言う権利はない。私の人生において彼の存在が絶対的に揺るぎないものであることに変わりはない。俳優の彼を好きでなくとも、俳優という道を選んだ彼の存在が好きなのだ。百名ヒロキとして生きる道を選んだ仲田拡輝が好きなのだ。

 

彼はきっとこの世界で、これからたくさんの役を生き、たくさんの人と出会い、舞台の上で歳を重ねていくのだろう。

 

そして私はきっと、俳優として生きる彼を、客席から見つめ続けるのだろう。ひとたび劇場の椅子に座れば、永遠に交わることのない人間の人生を目の当たりにすることができる。

 

「一番大きな出会いは、今この瞬間。君に出会うために、僕らは歴史を重ねてきました。」

 

新春の帝国劇場で聞いた台詞だが、きっとその通りなのだと思う。舞台と客席、本来なら交わるはずのない沢山の人生が交差して重なり合ってひとつの歴史が生まれる。それが劇場という場所なのだと思う。

 

役に自らの人生を乗せて板の上から誰かの人生に影響を与えるということは、どんな気持ちなのだろう。私には一生分かり得ないから、分かろうとするのはやめる。私は、表現者として舞台に立つ彼を、1人の人間として見続ける。演劇は夢物語ではなく、現実だ。君がそこで生きているという現実。

 

どれだけ夜明けの空が見たいと願っても永遠に日は昇らないのなら、ひろい夜空に輝く月の光があればいい。

 

何故それでも百名ヒロキを追いかけるのか。

 

私が私の人生を強く生きるために、百名ヒロキの存在が必要だからである。